FEATURE-REVIEW

DE DE MOUSE

10代の頃、背伸びをして、分かりもしない音楽を格好つけて聴いている頃から、少しずつ音楽の面白さに気づき始めた頃が、その人の表現の礎になっているとぼくは思っています。
そんな頃に、お金もなかったし、中古CDやアンオフィシャルなコンピレーションものを買っては、「よくわかんないけど、折角買ったし、もったいないから聴こう」と、何度も聴いているうちに、いつのまにか好きで好きでたまらなくなっていきました。
10代の頃の、そんな予想もしなかった出会いの作品10枚を、あげていきたいと思います。
 

中古CD屋で、映画のサントラだと思って買ったもの。
全体的にAORやジャズ、カントリーテイストで、映画の劇中歌だと思って、映画を観たら、それらしきものは一切聞こえてこず。
中古なので、帯も何もなく、結局映画とは関係ないイメージアルバム、という結論に。
バリー•フィナティーのボブ•ディランの『北国の少女』のカバーが大好きなのだが、やはり一番は、トゥーツ•シールマンズのハーモニカ曲の「夜明けのローズマンブリッジ」と口笛曲の「マディソン郡の橋」。
AORとカントリーに挟まれて、ラジオの番組形式にスタンダードジャズが入ってくるのだが、トータルすると田舎で繰り広げられるロマンティックなスーパーマーケットミュージック。
つまりドストライク。

本当はサティとドビュッシーの有名曲をコンパイルした二枚組で1000円で買ったコンピレーションアルバムを聴いていたのですが、その作品の情報が出てこないので(そのCDはもう手元に無く、情報が一切分からない)、代わりに、フランスものと言ったらこの人、パスカル•ロジェのピアノ演奏アルバムを。
当時、ジムノペディがテレビでよく流れていて、ジムノペディが聴きたくて買ったもの。
一枚目がドビュッシーで、二枚目がサティ。買った当時は、聴いていたのは取っつきやすくて、曲も短いサティの方ばかり。
ひからびた胎児など、タイトルもユーモアで、取っつきにくいクラシックというより、不思議な旋律をエレクトリックミュージックのように聴いていました。
聴き始めた18の頃は、あまりドビュッシーにはピンと来なくて、興味を持ったのはパスピエを聴いた時FF4のボスのテーマが頭をよぎり、それからはパスピエばかりを聴くように。
寝静まった夜の街を歩きながら聴く、印象派のピアノの響きは、知らない世界に迷い込ませそうな気がして、怖くもありながら、心躍っていました。

”レーベル買い”なんていう、好きなレーベルから出している作品は有無も言わさず買う、という信頼がまだあった頃。
そんなレーベル買いをしていたRephlexからリリースしていたイタリアのトラックメイカー。
レトロSFな世界観をクラフトワーク的な音で表現していたのだが、このミニアルバムはオーソン•ウェルズ的な古典SF。
ほぼチープなビートにチープなストリングス音源のみ。イントロも無く一曲目からいきなり歌まで始まり、一聴、デモテープにしか聞こえなくて、同名の別アーティストなのかって本気で疑っていた。
疑念を持ちながら、折角買ったからと、何度か聴いているうちに、シンプルなメロディの虜に。
6曲目でいきなり始まるピアノ曲に、他の曲を飛び越えてハマってしまい、その部分ばかり聴いていたが、それがドビュッシーの月の光の抜粋だと分かり、一気にドビュッシーが身近なものに。
かっこいいとか、すごいとか、狂ってるとか、キャッチーさばかり求めていた19の頃に出会った、静かな衝撃。

1998年頃、ディープフォレストやエニグマ等、ヒーリングミュージックにヒップホップやハウス等のダンスミュージックを取り込んだサウンドが、随分と浸透していました。
当時ぼくは、NHKの深夜にやっていたヴォイジャーの軌跡をCGでシミュレートする映像と音楽だけの番組に心奪われており、ヴォイジャー以外にも、世界の街の至る所を映した映像に、音楽だけ流している番組に惚れ込んで、そこで偶然に出会う音をとても楽しみにしていた。
曲目も番組中出る訳も無く、音の記憶だけを頼りに、アンビエントやヒーリングミュージックのコーナーで、CDの帯に書かれている文言から推測していくしか無く、偶然買ったアディエマスなんかも聴いた瞬間に「これこの間NHKで流れていたやつだ」なんていう、偶然な出会いはとてもうれしかったものです。
このストーンエイジも、未だに探し続けている、当時のヴォイジャーの番組で流れていた曲を探している時に、「これなんじゃないかな」と推測して買ったもの。
音的にはケルティッシュなエニグマ。
リピートし続けるくらいなハマる曲は無かったはずなのに、気づくとこのアルバムをかけている、特に誰にも教える訳ではない、自分だけの秘密のような作品でした。
自分が音楽の中に取り入れる様々なジャンルのエッセンスは、もしかしたらこのストーンエイジからなんじゃないかな、と思っている。
後年、坂本美雨さんに会った時にこのストーンエイジの話で盛り上がり、うれしい反面、なんだか自分の秘密を知られていたようで恥ずかしくなりました。

初めてのテクノとの遭遇。
96年当時はテクノがブームで、群馬の片田舎に住む高校生だったぼくには、テクノという音楽は音楽雑誌の説明から想像するしかなかった。
この作品も、ある音楽雑誌の「めちゃくちゃすぎるドラムンベース」なんていうレビューに興味を持って購入。
一聴した印象は「音のバランス悪いし、耳障りだし、めちゃくちゃなんじゃなくて適当に連打して打ち込んでるだけじゃん」と釈然としない違和感が合ったのに、気づいたら何度も聴いている。
なんというか、初めてゲームをプレイする感覚で音楽を聴いたのはこのアルバムだったと思う。
踊る、という機能性を無視したリズムのレイヤーを見つけていく聴き方は、いろいろな敵を見つけては倒していくゲームをプレイしているようでした。
「テクノっていうのは新しい音楽の形だ!アートだ!新しいジャンルを自分も作り出してみせる!」なんて、若さ故の恥ずかしい言動を声高らかにしていた頃。
モテたいが為に音楽を始めたはずが、ここからどんどん間違った「モテない」音楽ばかり追求し始めるのです。

 

DE DE MOUSEというプロジェクトは「東京の郊外のサウンドトラック」として始めたものでしたが、そのきっかけを作ったのはこのサントラ。
高校二年の春休みにやる事が無くて、家にあった耳をすませばのビデオを観てた。
少女がファンタジーの世界に迷い込む映画だと思って観ていたので、ただの思春期映画で肩すかしだった。
しかし、なんとなく胸のもやもや感が消えなくて、何度も観返して、虜になっていることに気づき、突然思い立って多摩にこの映画の街を探しに行った。
舞台になった街に出会えるのは、ぼくが上京してからなのですが、この映画は何度も何度も、本当に何度も観返した。
夏休みの学校に向かうシーンで流れる「丘の町」を聴くと、何故か胸が苦しくなった。
郊外の街にあるどこか狂気じみた静けさに惹かれるようになった色々なファクターがあってなのだが、事の発端はこの映画であり、音楽である事は間違いない。
90年代のPCMシンセサイザーと、オーケストラが絶妙な具合で織りなす、甘く苦いサウンドトラック(ぼくにとって)。
後年、カントリーロードのカバーをやることになり、月島雫の声を担当した本名陽子本人に歌ってもらう事が出来て、ぼくにとっては、本当に宝物のような経験でした。

上京して、音楽の学校で、とても魅力的な曲を作る友人が出来た。
素晴らしいメロディを作るのに、彼自身は照れ屋で向上心も特になく、ぼくが一方的に彼の曲に惚れ込んで、曲作りをサポートしたりして、学校の課題を提出していた。
あまり音楽そのものにも興味もなかったようで、卒業して、次第と疎遠になり、彼が今何をやっているか、ぼくは知らない。
彼のメロディは洗練されていて、もし音楽に真剣に向き合うつもりがあったなら、ぼくは本気でサポートしたと思う。
シーンをひっくり返す天才は、実はそこら中に居て、表に出て行く気がないだけなんだな、と彼を見てそう感じた。
彼はユーミンが好きで、「とりあえず貸してよ」と、彼から借りたのがこのアルバム。
魔女の宅急便のおかげで、「やさしさに包まれたなら」と「ルージュの伝言」くらい聴いて、後はどれもピンと来なかった。
何故ハマるようになったのかは思い出せないが、2~3年後くらいから突然このアルバムのMDを引っ張りだして来て、狂ったように「コバルトアワー」をリピートした。
荒井由実サウンドは、演奏から歌詞、声、全てが魔法の様で、本当に魔女の宅急便の世界そのものだった。
アルバム『コバルトアワー』も『MISSLIM』も本当に大好きなのだけれども、彼から、発売当初アンオフィシャルだったこのベストを借りなければ今の自分のサウンドは無かったかもしれない。

ユーミンへの陶酔も落ち着いた頃、バイト帰りに、当時住んでいたアパートの近くのブックオフに寄るのが日課だった。
CDよりもマイナー漫画やUFOなどのオカルト文庫、昔のゲームの攻略本など、サブカルなものばかり漁っていたけど、ふと店内のBGMから、オフコースのような流麗なコーラスで、プロレスのヒールの事を歌っているらしき変な曲が流れて来た。
一聴で、その捻くれた表現法の虜になってしまったが、誰だか分からない。
後日、友人にその話をしたら、「それキリンジだね」と教えてもらった。
何年か前に「牡牛座ラプソディ」のPVをテレビで観たのは覚えていたが、特にピンと来なかったので意外だった。
ぼくが聴いたのはクレイジーケンバンドのリミックスで、ひとしきり狂ったように聴いた後、この『3』に流れた。
ユーミンで聴いていた独特のコード進行や、厚いコーラス、捻くれた歌詞も、全てがファンタジーで、郊外を舞台にしたアニメーションのサントラのようで、郊外の街を散策する時は、いつもユーミンとキリンジを聴いていた。
どの曲も何度か聴いてじわじわと体に入った後、歌詞が突然入って来た瞬間に、頭の中でアドレナリンが溢れ出てくるような、不思議な高揚感を体験をし続けられるのは、後にも先にもキリンジだけ。

18の頃、バイトをズル休みして、BSで録画したサウンドオブミュージックを観ていた。
ハウス食品シリーズの世界名作劇場での「トラップ一家物語」しか知らなかったし、何故ドレミの歌を歌うのかもよく分かってなかったが、エーデルワイスもドレミの歌もサウンドオブミュージックで、もっと昔に作られたものだと思っていたので、サウンドオブミュージックの曲だと知って、観た時驚いた。
何気なくぼんやり観ていたが、トラップ家の子供達の合唱に大佐が入り込んで来たシーンで、迂闊にも涙腺が緩んでしまい、そのシーンに出会えただけでとても素敵な映画に出会えた、とうれしくなった。
こういう、出会い頭の正面衝突のような経験は、ずっと引きずり続けるようで、「またこのときみたいな出会いは無いかな」なんて、未だ求め続けています。

音楽を始めるきっかけになったのは、アニメ「シティハンター」のED曲である「Get Wild」と「Still Love
Her」。
特に後者のED映像は、実際の新宿中央公園の映像が使われたりして、当時はバブル真っただ中ということもあり、群馬の片田舎に住む少年には、煌びやかで憧れの世界だった。
TM Network =「シティハンター」= 憧れの東京、という図式が小学生の頃のぼくに出来上がってしまい、中学になると、退屈なこの日常から抜け出して、東京という当時のぼくにとってのエメラルドシティで生活する事ばかり夢想するようになる。
このアルバムはTMのデビューアルバムであり、ぼくが初めてこれを聴いたのはTMが終了した時、94年の春だった。
ぼくが聴いた時点で、10年も前のもので、一聴した時ぼくは、(当たり前なのだが)「なんて古くさいんだろう」と思った。
84年当時の最先端なデジタルシンセを使っているが、一歩踏み込むと80年代初頭の古くさいロックでしかなかった。
この年になって、やっと初期のTMが持っていた匂いは『Time』の頃のELOだったんだって思うけど、知識も経験も無い自分には「古くさいけど心地いい」としか思わなかった。
しかし、その古くささが、流行の音楽を聴くような構える感じが無くて、このアルバムの隅から隅まである煌びやかさが、(当時まだ15歳でしたが)もう戻ってこない少年時代の希望の世界の匂いが浸れているようで、登下校の時、毎日聴いていた。
初めてシンセを手に入れた時に打ち込んだフレーズが「1974」のイントロで、このイントロを打ち込めた時の感動は忘れられません。

web flyer

ライブ情報!
DE DE MOUSE
5th ALBUM “farewell holiday!”release shows DE DE MOUSE x 1 <デデマウス バイ ワン>

2016.2.10(Wed)
OPEN / START 19:00 / 20:00
前売 ¥3,800(税込・ドリンクチャージ別)

ACT : DE DE MOUSE
Visual : rokapenis(VEJ), Takashi Yamaguchi
Visual Support : BAB
Lighting : Mininari Marui

Opening Act : Chip Tanaka (VJ : HALOiD(TREKKIE TRAX))

http://www.liquidroom.net/schedule/20160210/27780/