曽我部恵一
なぜ出会ってしまったのだろう?ヤツらとの出会いによって人生狂い咲き!?
そんな「ニクイ」やつらをご紹介。


- Goats Head Soup/山羊の頭のスープ(1973年)
- THE ROLING STONES
── わかりやすさで言うとストーンズですよね。
曽我部「ストーンズ悪いなぁ」って中学のときに思ってて(笑)。いま思うとパブリック・イメージみたいなのを利用するのがうまいなと思うんですよね。不良感っていうか。ミックとキースが出会ったのって専門学校行くバスのなかで、シカゴから直で入れたブルースの7インチをミックが持ってたのをキースが見たっていうのがはじめらしいんですよ。それって「オタクが持ってるのひょっとしてアレ?」っていう世界でしょ。それレコード・オタクじゃん(笑)。それが「ブライアン・ジョーンズっていうやばい奴がいるから、そこにいって俺たちもバンドやろう」みたいなのがストーンズであって。無茶苦茶貧乏な家の子でもないと思うし。ビートルズの方が不良っていうか、貧しい人たちっていうか。プライマル・スクリームもスト−ンズっぽいのかもしれないけど、いまでもそういう感覚がある。1アルバムに対して、プロデューサーとかアート・ディレクターとか、アンディ・ウォホールとかビビットな人を呼んでくる。そうしないと多分バンド的に持たないんだと思うんだけど。それでいて表面上は「It’s Only Rock’n Roll」って言ってるところとか、とにかく知能犯だなぁって思いますね。でも本当、中学のときはとにかく「こいつら悪いなぁ」って思ってましたよ。キースがヘロインを抜くために全身の血を入れ替えたとか、そういう都市伝説とかいろいろあったんですよ(笑)。
── そういう噂、当時はネットもないから無駄に広がりそうですよね(笑)。
曽我部そうだよね、全身の血入れ替れるわけないじゃん(笑)
── でもそういう青春時代に好きな不良性はありますよね。
曽我部そうだね。逆に言うとビートルズはスーツに坊ちゃん刈りだから不良っぽくないと思ってたんだけど。『VICE』っていう雑誌のモーターヘッドのレミーのインタヴューで「ストーンズは本当に冴えない」って言ってて「ビートルズは本当に不良だ」って。レミーは当時、ビートルズのライヴを見たことがあるらしくて、ジョンが客と殴り合いの喧嘩をはじめたらしくて、「あいつらは本物の不良だ」って言ってたけど(笑)。ストーンズは、まぁ騙されましたね。まんまと。
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- Around The World In A Day(1985年)
- PRINCE
── ジャケットもPファンク引用したりしてますからね。
曽我部プリンス丸出しっていう感じで、“パープル・レイン”は相当薄めてあったのかなぁと思って。ビートルズの『サージェント・ペパーズ』のファンク・ヴァージョンだって当時から言われてて、それはなるほどって思いながら。
── ブラック・ミュージック自体には思い入れは?
曽我部オーティス・レディングとかアレサ・フランクリンとか、ああいうサザン・ソウルみたいなおっさん臭いソウルは好きで、だからブラック・ミュージック自体好きは好きで。
── でも最終的にロックなんですか?
曽我部やっぱり自分に近いからかな。ソウルとかファンクをやっている日本のバンドってすごくマネっぽく感じてて、嫌だったんですよね。それよりかはパンク・ロックのほうがフォークっぽさがあるというか日本語ががーんって来た気がするんだけどなぁ。黒人音楽を日本人がやるのはすごく変な感じがしたというか。ゲットーの音楽だから日本に置き換えると変なんじゃないのかなぁ。でもようやくそれがここ10年とかでなくなった。ラップで日本語の韻を踏んでるのが普通に聴けるようになったから、変わったのかなぁと。時代も変わったのもあるんだろうけど。
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- Don’t Look Back In Anger(1995年)
- OASIS
── ここまでのセレクト見ると意外ですよ(笑)。
曽我部オアシス好きだったなぁ。来日観たんですけど、すごく良くなくて(笑)。ヴォーカルの人が機嫌が悪いみたいな感じで途中で帰るみたいなノリで。「やる気ねぇなら、やんなよ」って思って聴かなくなりました(笑)。
── じゃあ、来日さえ無ければいまも聴いてたかもしれませんか?
曽我部まだ聴いてたかもしれないけど、この曲をやってたセカンド・アルバムの頃がいちばん好きで。そのあとも聴いたけど、パワーダウンした感じがあったからどうかわからない。ともかく彼らは曲作りが半端無いなと思ってて。ポール・マッカートニー・レベルの曲を書いてピストルズみたいな歌い方で歌うっていう、そのフォーマットがすごいなと思って。これはかなう人は出ないだろうなって感じでしたね。この頃は。イギリスとか行くと、当時、オアシスを歌いながら酔っぱらいが歩いてたりしてて、その感じが……日本で言うとなんなんですかね(笑)。あとこの系列で言うと、ザ・ジャムはこの師匠格っていう感じかな。パンクとか聴いてた頃はよく聴いてましたね。
── 若いときの、音楽とファッションみたいな部分ってどうですか?
曽我部モッズの人とかいたけど、俺、パンクスだったからガーゼシャツ着てたんだよね(笑)。それとボンテージパンツがデフォルトみたいな人間だった。四国の田舎だからまわりのおばちゃんなんて、そんな格好みたことないと思うから、多分キチ○イだと思われてと思う(笑)。「あそこの子はおかしくなったかな」って思われてたかもしれない。最近、パンクスとかヘビメタのひとも観なくなったよね。楽器屋さんにはだいたい店員さんで100パーセントいたんだけど。モッズの人もあまりみないし、ファッション系のトライブが少なくなったのかなぁ。ヒップホップはいますけどね。たまーに、サイコ・ビリーの人とかいて、それを観るといいなぁって思って。形から入るのも重要だからさ。ガーゼシャツ着てる若い子見ないよね。俺のは上京してかなり経ってからひさびさに実家に帰って、ガーゼシャツでも持って帰ろうとしたら母親に「アフリカの貧しい人たちに贈った」って言われて、アフリカの貧しい人がガーゼシャツ着てたら大変なことになるぞと思って(笑)。






- はっぴいえんど(1970年)
- はっぴいえんど
曽我部はっぴいえんどは大学生のときに聴いたんだけど、ピストルズを中学生のときに聴いたのと同じ様な衝撃があって。鬱屈とした感じをそのままエネルギーとして出しているような気がして。それとはっぴいえんどが衝撃的だったのは、やっぱり音質かな。日本のポップスとか60年代、70年代の音楽にはない無茶苦茶太くて乾いてる音質。よくよく考えれば突然変異ではないんだけど、日本のそれまでの音楽とは離れたところで突然変異的にできた音楽かなと思ってて。日本の音楽のひとつのジャンルができた感じがすごくする。だからこれ以降“はっぴいえんどの系譜”ってあるじゃないですか? 僕のなかではピストルズが出てきてパンク・ロックというひとつのジャンルができたのと近い気がする。── 90年代のサニーデイ・サービスはある意味で、その“はっぴいえんどの系譜”と言われてた部分はあるじゃないですか? どう思ってました?
曽我部自分たちがお手本にすべき音楽のフォーマットとして、はっぴいえんどとかそういうものはあったと思う。コンセプトとして。
── 自覚的だったんですね。
曽我部でも音は、実は70年代っぽくなくて、80年代なんですよね。ネオアコっぽかったり。それこそカルチャー・クラブみたいな80年代のポップスみたいなものが自分のルーツだから。それをうまくはっぴいえんどとかその周辺の70年代の音質とかアレンジとか、詩のあり方とかを一緒にさせようとはしていましたね。あとは鈴木慶一さんがやってたはちみつぱいっていうバンドとかは本当に好きですね。いまだに聴きますね。あとは高田渡さんとかも。渡さんになるとフォークというよりもシンガー・ソング・ライターという感じがして。自分の身に起きたことを、自分の言葉で歌にしてギター1本で歌うという感じで、すごい影響を受けた人ですね。渡さんは実は他の方が詩を書いた曲もあるんですけど。あとは友部(正人)さんとか三上寛さんとか、エンケン(遠藤賢司)さんもそうだし。ブルー・ハーツもそういうものをロックでやったバンドだと思うんだけど。日本の音楽ってぼんやりとした詩というか、オケを作って「ラララ」でメロディを作って、適当に後から詩を付けるというのがJ-POPの定番の作り方なんですよ。そうじゃなくて、俺はひとつ歌いたいことがあるから曲ができるというのが重要だと思ってるんですよ。だから、自分もそういう風な曲作りをしたいと思っています。
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