Masaki Sakamoto
夢うつつのピアニスト
坂本昌己さんのアルバム『ENDOTONES』がすごい。坂本さんの音楽には、いまどきのエレクトロニック・ミュージックにつきものの——けたたま しいリズム、奇抜なエディット術はない。しかし、何度もプレイヤーに入れてしまう魅力を持っているのだから、不思議だ。初めて『ENDOTONES』を聴 いた時、オリジナル・メンバー期のザ・ブラック・ドッグを見た気がした。そう、あの頃の彼らと同じように、『ENDOTONES』にはさりげない包容力と 共に、ユーモアとスリリングなリズム感が漂っている。しかし発言を読めばわかる通り、坂本さんはテクノの歴史的な縦軸から自由なひとだ。したがって懐古的 にこういうことをやっているわけではないのだが、そこを抜きにした部分でも、傑出したストーリー・テラーとしてリスナーの心を掴んでいくに違いない。「自 分は決して優れたピアニストではない」とは言いながらも、坂本さんは夢うつつでファンタジックな物語を、鍵盤でつまびらかに語ってみせる。つまびらかであ るからこそ、聴き手は物語に「乗れる」。しかし、こんな音楽を作るひとが白衣を着てお医者さんをやっているのだから、世の中には不思議なことがまだまだあ るものだ。
── 坂本さん、初めまして。ライターの岡本です。本来なら対面でのインタビューとすべきところを、メール上でのやり取りになりますが、ひとつよろしくお願いいたします。
「どうぞ宜しくお願いいたします」
── 音楽の話をする前に、坂本さんは現役の神経内科医だとか。医学博士の資格も持っておられるそうで、バックボーンに大変関心があります。
「神経内科のいわゆる勤務医です。外来、入院患者さんの診療をしています。当直も月に何度か」
(筆者注)神経内科:内科の一分野。身体に現れる脳や神経、筋肉の症状を診ます
── 坂本さんにとって、音楽と神経内科医の仕事って、相関関係があったりするものなんでしょうか? ありていの言い方で恐縮ですが、医師として得た仕事のインスピレーション(反動的なものも含めて)が、ファンタジックな音世界に干渉しているのかなと。
「いわゆる音楽療法とかは全く関係ありません。興味もありませんし。音楽療法の話になると精神科領域になりますので、そもそも関係ないところにいるわけです。
仕事のインスピレーションについてですが、もし自分が医者以外の仕事に就いていたら、ということを時々考えますが正直想像もつきません。それではつまらな いのでやや人生を遡って考えてみると、最初に医学部で医学部らしいことをしたのは解剖実習でした。これは強烈な体験でしたが、大変ながらもかなり楽しんで 実習していました。(不謹慎な意味ではありませんので誤解なく)この時点ではいわゆる人体に対する自然科学的な興味を持っただけでしたが、実際に医者に なって現場に出てみると何よりも人間同士の関わりが猛烈に強くなる体験をするわけです。医療というのは白黒つかない灰色の部分が未だに多いので、灰色の部 分に関して責任を持つのが医者の仕事だと思ってますが、最近はそうもいかない世知辛いご時世です。ともかく、現実がこの通りなので、その反動の部分がある のも間違いないとは思いますが、そんなこと意識して音楽を作るほど腹黒くもないつもりです」
── かつて坂本さんは、SL@yRe & The Feminine Stoolξ名義でコーネリアス『PM』(03年)にリミキサーとして参加しておられますが、それ以前となるとジャズ音楽家としての活動がありますね。
「『ジャ ズ』という言葉のイメージの限定力というのはすさまじいものがあるので、敢えて自分から口にしないようにしています。この言葉から生まれる誤解の中で音楽 を続けることほど自分にとってストレスはありませんから。『ジャズ』が僕の音楽のキーワードにならないようになりたいものです。ただ、こころからジャズを 愛しているのは間違いないことです。
一方で僕は優秀なピアノ弾きではありませんが、僕の音楽の根底にはピアニズムがあるのは間違いないでしょう。ピアノを弾くという行為そのもの、あるいはピ アノが持つ楽器としての特性そのものに対する興味はずっと持続しています。僕がエレクトロニクスを使って作る音色は全てピアノをシミュレートしていると いってもいいかもしれません。つまりそれくらいピアノからいろんな音が出ているということです。このことに興味をもってハマりきって以来、今では自分に とって、ピアノを弾くことも、PCで音楽を作ることも全く同列のものになっています。こういうことが仕事をしながらでも出来るテクノロジーのある時代に生 まれたことは本当にありがたいことと思っています」
── ご自身の音楽家としての出発点はいつ、どんな経緯で始まったものだと考えますか?
「僕の音楽の ルーツは小学生の時、エレクトロニックミュージックに触れたところから始まっています。高校ではオーケストラ部に入っていてバイオリンを弾いていました。 普通科の高校生が交響曲を必死に演奏するという、なんとも痛快な体験でした。大学では完璧にジャズにハマってましたが、そういえばサルサとブルースのバン ドもやってました。サルサのバンドはパーカッションのバンマスがチコ島津さんっていうおじさんで、結構いろいろリズムについて教えてもらいました。これは かなりの音楽的財産になっていると思います。ブルースのバンドは医大生バンドでしたが、結構人気もあってCDも作ったり楽しかったですよ。この時、実は ベーシストでした」
── そんな坂本さんが、電子音楽の機材を交えた制作を志すようになった経緯は何でしょうか?
「始め て買ったシンセはKORG POLY-800。中学1年生でした。当時、YAMAHA DX-7が出回り始めていた時期でしたが、あの細くてシャキーンとした音が好きになれなくて。それより、しょぼい楽器を使い倒す方にのめり込んでいて。 フィルターを閉じきる最後のところでほんのちょっと聞こえるノイズでスクラッチの音を作ったり、今思うと中学生は恐るべしですね。それ以降は4chのカ セットMTRで曲を作ったりしてました。デバイスアーチストのクワクボリョウタと高校が一緒だったんですけど、当時彼が8ミリで作った映像作品に音を付け たり、高校のアニ研のアニメーション作品のサントラを作ったり、それなりに楽しんでました。
大学以降はほとんどピアノしか弾いていません。ただ医者になってからパソコンを仕事で使うことになり、DTMソフトでも入れてみるか、的に宅録に手を出し たころにちょうどコーネリアスリミックスコンテストがあったわけです。確か2002年の12月31日が締め切りで、大晦日、立川郵便局に午前0時15分前 に滑り込んだのを覚えてます。『今日の消印じゃないとダメなんですー!』みたいなこと言って、かなり怖かったことと思いますが。それでコンテスト落ちたら 音楽止めようくらいに思っていたんですが、本当に運良く選ばれたわけです。以降、ピアノを弾くのと同じくらいDTMで曲を作るようになっています」
── アルバム『ENDOTONES』はユーモアと可憐さ、たおやかさのあるエレクトロニック・ミュージックと感じました。素晴らしい仕上がりです。さて、この アルバムで坂本さんは「パーソナル」と「ソーシャル」、「アコースティック」と「デジタル」、「国境」と「時差」、幾つかの対立軸を掲げておられるようで すが、このような構図を用意した考えとは何でしょうか?
「これは深い意味はないんですけど、事実、僕の今置かれた状況がこういう状況であり、こういう状況から生まれた音楽であるのでそういう話になっているのでしょう」
── 上記の質問に付随するのかもしれませんが、坂本さんは「睡眠と覚醒の間で音楽活動を続けている」と仰っています。これはどういうことでしょうか? 「半眼」に近いニュアンスでしょうか?
「単 に寝てなくていつも眠いだけです。音楽を作っている時は半分寝ています。猛烈眠い時にアイディアが浮かんで目がバチッと冷める時の快感と言ったら……って 半分冗談ですよ。でもいつも半眼な状態でいたいと思ってますけどね。別に半眼にかけていたわけではなかったんですが、バッチリなのでこれから使わせていた だきます」
── 現在、チリのアトム・ハートとのコラボレーションを進めているとのことですが、進行状況はいかがでしょうか? 事前の展望があれば、無理のない範囲で教えてください。
「状況は目もくらむような早さです。現在進行中でファイル交換とメールでのアイディア交換が続いているところです。でもこれ以上は喋れません。もうしばらくお待ち下さい」