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Polaris 新たな扉を開いたミニ・アルバム『色彩』をリリース!

Polaris 新たな扉を開いたミニ・アルバム『色彩』をリリース!

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2000年に大谷友介[オオヤユウスケ](vo&g)と柏原譲(b)によって結成され、2006年に活動を休止していたPolaris。活動休止中、大谷は他アーティストのプロデュースを手掛ける他、2010年には活動の拠点をベルリンに移し、ソロ・プロジェクトSPENCERを始動。柏原も他アーティストのプロデュース、FISHMANS、OTOUTA、So many tearsと多岐にわたって活躍していたが、昨年9月に『光る音』をリリースし再始動。そして1年ぶりに届けてくれたミニ・アルバム『色彩』では、これまで以上に多彩な楽曲を披露している。これまでの浮遊感にあふれつつ多幸感も含んだサウンドイメージを感じさせつつも、そこからいい意味ではみ出す圧倒的な力強さは、いかにして生まれたのか。再始動するにあたって、そして再始動してからの想い、現在の音楽を作り出すスタイルについて大谷と柏原に語ってもらった。


「楽にやってもPolarisになるわけじゃなくて、チャレンジはしなきゃいけない」(柏原)

── 昨年9月、6年ぶりに再始動し『光る音』をリリース、そして今回1年にぶりにミニ・アルバム『色彩』が届けられました。

大谷友介「6年も休んでおきながら、さらに1年空くっていう(笑)」

柏原譲「大変申し訳ない、遅くてすみません(笑)」

── (笑)。改めて、昨年の再結成に至る経緯を教えていただけますか?

大谷「2011年の話になるんですけど、夏の終わりか秋になる今ぐらいの季節に、久々に譲さんに会って」

柏原「そうでした」

大谷「お互い休んでいる期間に各々の活動はしていて」

柏原「個々の活動のひとつに、空中ループとトレモロイドのスプリット盤リリースで、それぞれのバンドを俺と大谷君でプロデュースをするっていう機会があって。それで、“おっ、大谷君がやってるんだ”って思って」

大谷「そうそう。銘打っているのを見たら“プロデュース対決”って書いてあって(笑)」

柏原「まるで、“料理の鉄人”の対決みたいなね(笑)。誰がこんな煽りをしているんだってね(笑)」

大谷「その流れがあって久々に再会して、近況報告的ないろいろな話をしつつ」

柏原「“大谷君の作った曲を聴かせて”なんて話もして」

── その頃、大谷さんはベルリンに行かれていたんですよね?

大谷「そうですね。2011年に譲さんに会ったときは、ベルリンの生活も落ち着いてきていて、すごく自然な流れだったというか。その前までは、ベルリンでの生活の基盤を作るのに忙しかったし、プロデュースの仕事も立て続けにやっていたので時間的にも余裕がなかったというのもあったので」

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── おふたりは昨年、6年ぶりに音を鳴らした感想を、Polarisという名前もないころの最初の感じに近いとおっしゃっていました。

大谷「まさに」

柏原「Polarisって、こんな感じでやってたんだね、演奏するのが難しい、みたいな話をしてたよね(笑)。難しいのと長いのと、息が疲れるって(笑)」

大谷「Polarisの楽曲って、息をする場所があんまりないんですよ。CDを聴いてくれている方々は、わりと“緩くてフワフワしている”って表現されますけど、実際演奏をしている方は、太極拳的なタイム感があって、意外と修行的な部分もあるんで(笑)」

── 実際に音を鳴らして、Polarisって案外チャレンジしていたんだと、改めて感じたというか。

大谷「そういう感覚は、すごくありましたね」

── Polaris以前に、譲さんさんはFISHMANS、大谷さんはLaBLIFeという、バンドを経験されていても、Polarisでそういうチャレンジがあったんですね。

柏原「Polarisは、かなり独特っていうか、何を新しいものを作ろうとして、それをやったという意味では、それなりに手応えはありますね」

大谷「1曲1曲、かなり濃度が濃いっていうかね」

── 再始動にあたり、“本質は、ふたりで音を合わせればPolarisでしかない”と大谷さんがおっしゃっていたのですが、具体的に言語化するとどういうものだと思われますか?

柏原「ただ、ふたりでやればPolarisになるってわけじゃないんだけどね。楽にやってもPolarisになるわけじゃなくて、チャレンジはしなきゃいけないんだけど」

大谷「ふたりでやると、チャレンジしてしまうっていうところも含めてね。その時々で、学君(坂田学)が加入したり脱退したり、いろんなサポートの方に入っていただいたりとか、いろいろあるのでその時期によってサウンドの雰囲気はあると思うんですけど。そもそも、家の畳の部屋で何にもない状態で“やってみましょうか?”って、ところから始まっているので。その当時、自分にとっては譲さんと音楽やるなんてすごいことで。自分は、FISHMANSを普通に観に行っていた側だったんで」

柏原「いやいやいや(笑)」

大谷「こんなこと言っちゃいけない?(笑)」

柏原「いいですけど(笑)。当時はね」

大谷「さっき、LaBLIFeも経験があってって言ってくれたけど、LaBLIFeってちゃんと活動していたのは3年くらいで。LaBLIFeを解散させたときって、まだ25歳くらいだったんですよ。だから、どっちかっていうとPolarisをやるために準備していた時間だったみたいなところもあるので。そう考えると、自分が音楽を本当にやっていくぞってタイミングで、譲さんと一緒に出来たので、ただ一緒にいればって話ではないんですよね。その想いは変わらないですね」

柏原「僕はそれまで、FISHMANSしかやっていなかったんですけど。考えてみればその頃に、大谷君やクラムボンや崇君(ハナレグミ)達と会って、みなさんと音を出していける、クロスオーバーな活動が始まって。今もそんな状態で、こないだもスカパラのふたり(茂木欣一、加藤隆志)とやっているSo many tearsのライブに、大谷くんが入ってPolarsiの『光と影』を演奏したりして。もう、何のバンドなのかわからない(笑)。でも、そういうのって、やってるほうも刺激があるし、おもしろいんですよ。大谷君と出会ったのは、そういうことの始まりの時期かなと思いますね」

大谷「自分もそう言われてみると本当にそうで。もちろんLaBLIFeがあったんだけど、クラムボンだったりSUPER BUTTER DOGだったりと当時から入り乱れてやったりして。それが続いている感じっていうか、再びやることになってもそれが続いている感じはあって。当時は、クロスオーバーし過ぎていて、LaBLIFeの大谷さんって言われるのが不思議なくらいの感覚がありましたね」

── その状況が変わらず、クロスオーバーが10年続いているのは、すごいことですね。

大谷「それだけではないですけど、そういうことが、ひとつの音楽の形なんじゃないかとは思っていて」

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