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Nabowa

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12月のツアーで新曲を発表! さらに会場ではその楽曲の音源を配布!

2004年に京都で結成、現在も京都を拠点に活動を続けるNabowaは、山本啓(ヴァイオリン)、景山奏(ギター)、堀川達(ベース)、川上優(ドラム/パーカッション、ピアノ)の4人組。主に弦楽器から奏でられる穏やかながらドラマティックなメロディと、緊張感溢れるインプロビゼーション(即興演奏)が印象的なバンドだ。元々は所謂“ジャムバンド”のイベントの常連として、アンダーグラウンドで人気を博していたが FUJI ROCK FESTIVAL’10(11年度も2年連続出演)や朝霧JAM2012 など大型フェスへの出演を期に、より多くの人々を魅了するようになった。
12月にリキッドルームでワンマンライブを開催するということで、結成のいきさつなど振り返りながら、現在の活動状況まで話を聞いた。

── 結成までのいきさつを教えてください。

川上2004年の春ですかね。同じ大学の美術部に奏(景山)がいて、友だちになった。絵を描くことを目的としていたのに、そのサークルはコアな音楽好きの人が多かったんですよね。

景山軽音とはまったく違う、かなりマニアックな集まりだったけど、居心地は最高によくて(笑)。学園祭でのライブが決まった時、幼なじみ啓(山本)を呼ぶことにしたんです。

山本やってみたらおもしろくて、なんとなくバンドになっていっていきましたね。当時は全員学生で、本当にお金がなかったから、練習はスタジオではなく鴨川の河原で、ライブの場所は四条河原町の路上でした。学校があるから活動拠点は京都だったけど、みんな地元は隣の滋賀だから、ドラムセットを運べず、リズムはジャンベを使っていましたね。

景山簡易式で持ち運べる充電式のギターアンプを背負い、バイクで移動して(笑)。

山本結局当時はアンプも買わず、借り物で通したんじゃなかったっけ(笑)。最初の2年間は、エレキギターとバイオリン、それにジャンベ。今考えると、ちょっとワケのわからない編成だったけど、持っているものを工夫して使い倒していました。

景山そこは今に通ずるものがあるかな。

川上ベース不在な分、どうしてもギターがそのかわりを担うことが多く、主旋律がバイオリンということが多かった。ギターが前面に出る曲もやりたいと、音楽的なバリーエーションを広げるために、ベーシストを探すことになったんです。

山本僕は短大だったから、2人より一足先に卒業してバーをやっていた。噂を聞きつけた友だちがよく飲みにきてくれたんだけど、その中に高校の後輩だった達(堀川)もいて。

堀川僕は軽音部に所属してバンドでベースをやっていたんだけど、この人(山本)は陸上部だったんですよ。でも、顧問の先生がバイオリンを弾ける人なんて珍しいということで、よく部室に連れてきては、演奏していたんですよね。

山本達は学生時代からベースがうまかったので、飲みにきた時、翌日リハーサル予定だったので「時間があったら楽器持って遊びに来なよ」と誘ったら、来てくれたんだ。

堀川それで現在に至るわけです。

川上だから、いまだに正式なメンバーかというと、微妙なんです。
“時間がある時は遊びにきて”と誘ったんだけど、学生で暇だから、ほとんど毎回来てくれてね(笑)。

堀川当時は大学でポルトガル学科に席を置きながら、花火職人を目指していいましたから。悩みましたけど、ライブをやっているうち、おもしろくなっていったので音楽を続けることにしたんです。

山本卒業する前年「達は花火職人になるから、来年からベーシストどうしようかな」とか、みんなで話してたんです(笑)。ライブは順調に増えていきましたけど、まだ音楽を生業にしようという意識は希薄でした。

── 現在に繋がるような、思い出のライブはありましたか?

山本路上で演奏している時、ビールを片手に持ち、気持ち良さそう聴いている人がいて。実はその方、京都の百貨店のスタッフの方だったんですよ。

川上“催事に音楽が必要だから演奏して欲しい”とオーファーをいただいた。最初にギャラをいただいた仕事です。

山本そのお金で、発電機など、機材設備に充てていった結果、音楽的な幅が広がり、さらにライブのオファーも増えていった気がします。

川上もの凄い数やったね。

山本断ることを知らなかったので、3日間に5本とかありました。スケジュールが被っている以外は全部受けていました。

川上当時はまだコミュニティーが狭く、大阪や京都、滋賀など、オファーはすべて関西圏だったので、がんばれば行けちゃうんですよ。

景山06年か07年頃、1ヶ月に22本とかあったよね。

山本曲目もまだ少なかったから、ステージで曲を作っていた状態(笑)。テーマだけ決めてステージに上がればなんとかなる、と思っていました。でも、そんな中には光るフレーズや、曲の卵になるような演奏も少なからずあった。

── 同年に『LIVE SESSION』や翌年『River』といった CD、『Pole Pole/Continental Landscape』といった12インチシングルなど、音源作品も発表し始めましたね。

山本いまでこそいろいろ考えて作りますが、当時はまだライブの延長でした。みんなで演奏して、いいテイクを収録するような。

川上各パートを重ねて作る、ダビングという発想さえなかったような気がする。

山本『flow』(08年)をリリースすると、知名度は低かったけど、東京からもライブのお誘いをいただけるようになった。でも、予算が少なかったから、会場で演奏した後、路上でライブをやり、1枚千円のCDを売って、交通費をまかなってましたね。

── Nabowaの音楽の魅力は、インストだけどメロディアスなところにあると思います。恥ずかしい話ですが、ストリートライブをやっていて、見聞きしたことのない自分の知らないバンドでも、バイオリンの音色がすると思わず足を止めることが結構あるんですよ。

山本結構、引きは強いと思います。

── そもそもバイオリンはいつから始めたんですか?

山本4歳くらいかな。当たり前のようにやってましたけど、小学校にあがってからは違和感がありましたね。男の子によくある話だけど、子供の世界では音楽ができても、何も得にならないじゃないですか。サッカーができたり、足が速い方がいいし、女の子にもモテる(笑)。だからレッスンをサボって、サッカーばっかりやってました。

川上でも、いい先生に出会ったじゃない?

山本そうそう(笑)。レッスンへ行っても演奏できないわけだから、先生も練習してないことはわかっていたと思う。普通だと“やめてまえ!”とか怒ると思うんだけど、「今日は演奏しなくていいよ」と話をしてくれたり。あと、クラシックの譜面を前に「先生、どうしても譜面通りに弾かなくちゃいけないんですか? 僕はこの音より、違う音の方がいいと思う」と言ったりして。

川上クラシックの世界では、譜面通り弾くことが常識なんだから、
絶対してはいけない質問やね(笑)。

山本でも、「これにはルールがあってね」と親切に説明してくれました。

川上啓の演奏を聴きに行ったことがあるんだけど、アレンジしよるんですよ。

景山客席で「ちゃんと弾けや!」 とツッこんでたな(笑)。(川上)優さんも子供の頃からピアノをやっていて、クラシックの素養がある。僕と達は10代から楽器を始めていて。そういう意味で Nabowaは、2つにわかれるんです。

堀川思春期に、ちょっとモテようと思ってね(笑)。

景山僕なんか今でも本番前にはちゃんと練習しないと、不安で仕方がないんだけど、子供のころからキャリアのある啓と優さんは、ステージに上がる数秒前までダラっとしている。ちょっと羨ましいんですよね。

山本確かに、子供の頃からステージに上がっているから余裕があるのかもしれない。でも、いつも奏はギリギリまで練習して、すごく真面目で偉いと思っているんですよ。

川上それからどうしても僕と啓は音楽を理論で捉えるところがあるんです。
“今この音を鳴らしたから、次はこの音”とか。でも、奏と達は、そんなことを飛び越えて全然違う発想するから、刺激的でおもしろい。

景山確かに、ギターだったらAのメジャーを押さえながら、そのまま一個ずらしてA♯のキーに変えたりするけど、理論的に考えるとなかったことみたいだけど、ギターだと簡単に思えてしまう。
そういうところも結構ある。

── 山本さんと川上さんは音楽を理論的にとらえ、一方で景山さんと堀川さんは感覚に身を委ねている。バンドのバランスとしては、最高だと思いますが。

川上僕らが出せない音が一番最初に出て来る二人。逆に僕らが簡単にできることでも、二人が難しそうにやったりするから、おもしろいかもしれない。同じ環境の人間だけでバンドを組んでいないということは、凄くラッキーだと思います。

── 昨年発表した『Sen』(12年)は、一聴するとNabowa特有の開放感はそのままだけど、聴き込んでいくほど、プロダクション自体はすごく作り込んであると感じました。

山本いろいろなエンジニアさんからお世話になり、スタジオでの経験を重ねることにより、変わってきた部分は大きい。ようやくスタジオの録音技術の魅力がわかってきましたね。音の重ね方やダビングひとつで、どんどん曲が変わっていくことがわかってきたから、さらに込み入ったことをするようになりました。

── 以前はライブと音源のベクトルが同じだったけど、今は別ものとして捉えているということですか?

山本ライブはステージの細かな動きやバンドの気持ちまで、その場にいる人へダイレクトに伝わる。CDは時間軸に置いてくるものだから、買ってくれた人が手に取った時に、僕らはいないけど音楽は残る。だから、内容が違ってくるのも当然やなと考えています。音源でしかできない楽しいことを、もっと追求しようと思っています。だから、作品を完全にステージで再現することが難しくなってきた(笑)。全然違う曲にしちゃったりね。曲を産み落としてから、さらに再アレンジする。ライブで曲を育てていくという感覚ですね。

── 記録という意味合いが大きくなったんですね。『Nabowa』(10年)以降、フジロックや朝霧JAMにも出演するなど、大きなステージでのライブも増えましたね。環境の変化は作曲へも影響するものでしょうか?

山本確かに昔はもっとゆったりした曲が多かったね。

川上僕らの音楽は、やはりライブ場所から生まれてくるんです。前なら路上や河原、ライブハウスから小さなカフェまで。会場の規模で、曲調や演奏の仕方は変わってくる。

山本路上でやっていた頃は、天気や人の流れに合わせ、その場のTPOに合わせて演奏していた。少なくとも通行人の迷惑にならないように、ということを考えてやっていたので、その時にあっていたものっていうのがあった。

川上Nabowaを全く知らない人をガッチリ掴むことを考えるよね。フェスの会場を見て盛り上げようとしたら、やっぱり8ビートの曲もできてくるし、曲にも変化が生まれますね。

── フェスやイベントでは、ほかのバンドやアーティストもいますが、ワンマンはモロに Nabowa 目当てのお客さんになりますよね。

山本『flow』発表後、初ワンマンやった時 “あ、この人たちうちらだけを見にきたんや”って、気づいたんですよ(笑)。普段なら対バンする相手のことを考えながら、曲目を決めるけど、ワンマンはそんなこと考える必要もない。だから、次から別のことやらなきゃなって思いましたね。最初から最期まで全部考えなきゃならない。わざわざ来てくれたお客さんだから、いい意味で裏切らなくてはならない。

── 12月から始まるツアーのチケットには、新曲を収録したCDが付いてくるそうですね。普通は新作をリリースしてから、レコ発ツアーを回るもの。しかし、今回のツアーでは会場で見聴きした新曲を、改めて家に帰って音源で聴き直すというのも、また珍しい体験ですね。

川上まったくの新曲が付きます。今、制作中なんですが、それをライブで演奏したいと思っています。改めて、ライブでどう表現するか考えなきゃあかんなと。

山本ホント手間がかかるバンドだよね(笑)

np

Nabowa
2004年に京都で結成。山本啓(ヴァイオリン)、景山奏(ギター)、川上優(ドラム/パーカッション)で結成。後に堀川達(ベース)が加入。
現在までに3枚のアルバム、数枚のミニアルバム、シングル、アナログ盤をリリース。
セカンドアルバム『Nabowa』(10年)リリース後、FUJI ROCK FESTIVAL ‘10など、大型フェスにも出演、ライブバンドとしても高い評価を得る。
シングル『SUN』(11年)に続き、数人のシンガーを迎えた『DUO』(11年)、
続いて初のDVD『ナボワのライブ』(12年)、サードアルバム『Sen』(12年)を発表。
今年1月に発表したライブアルバム『20120707』がロングセールスを記録中。

『Nabowa Live』

12.13(fri) CLUB QUATTRO, NAGOYA
12.14(sat) SHANGRI-LA, OSAKA

12.21(sat) LIQUIDROOM, TOKYO

12.29(sun) ROOMS, FUKUOKA

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