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細野晴臣

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21世紀に聴かれるべき、細野晴臣版20世紀(主に)アメリカ音楽

 世紀の区切りは100年単位であるが、実際は切り替わるのに前後15年ほどを要するという。つまり世紀の変わり目を挟んだ30年で、前世紀の総括と新世紀への助走を行うということである。そういった視点で「細野晴臣コンサートツアー 2015」の初日を振り返ってみると、「細野晴臣版20世紀(主に)アメリカ音楽」といった印象であった。
 2015年6月5日。この日はあいにくの雨模様だったが、開演前にはLIQUIDROOMは観客でびっしりと埋め尽くされた。古くからのファンと思しき方も多い。定刻を少しだけ過ぎたところで、高田漣(ギター、ペダルスティール、マンドリン)、伊賀航(ベース)、伊藤大地(ドラムス)とともに細野晴臣が登場すると、待ってましたとばかりに拍手と歓声が飛び交った。
 一曲目はホーギー・カーマイケルの「HongKong Blues」。かつて、アルバム『泰安洋行』(1976年)に収録されたこの曲は細野ファンにはおなじみのナンバーだが、アルバムとはまた違ったエキゾティックな響きがある。続いて「Angel On My Shoulder」をオーセンティックなブルース・アレンジで。ブルースがここ数年の細野晴臣の関心のひとつであることは、2013年のアルバム『Heavenly Music』や、近年のライブから明らかである。しかし、奴隷制下のアフリカ系アメリカンのあいだで歌われていたフィールド・ハラーと呼ばれる労働歌をベースに発展したブルースは、細野の初期作品でも頻繁に取り上げられており、そういう意味では原点回帰とも呼べそうな動きである。このツアーでは、こうしたブルースやカントリー、細野がMCで「最近凝っちゃって」と言っていたブギウギ(1920年頃に登場したピアノによるリズミカルなブルースの演奏形式)を披露してくれたが、「最近ブギウギに凝っちゃって」発言のあとに、これらを演奏するということは「敗戦国の呪い」だと冗談半分に言っていたのが、なんとも印象に残った。
 ステージ中盤は「Down The Road A Piece」、「Tutti Frutti」、「The Song Is Ended」、ザ・ビートルズの「Dear Prudence」といった曲をときにグルーヴィーに、ときにたおやかに聴かせ、ドラムとベースが作り出すリズムも心地よいアレンジの「Suzie Q」を終えたところで、「これは余興ですから」と言って始めたのがなんとジェームス・ブラウンの「Sex Machine」。原曲のギラギラこってりした雰囲気から一転、細野曰く「淡白な演奏」にしたこのファンク・チューンは、無駄を削ぎ落としたタイトでミニマルなグルーヴで観客の身体を揺らす。曲の頭に戻るところでは、細野が自身の頭を指差してメンバーに指示を出していて、親密なスタジオセッションのようなムードを醸していた。
「Sex Machine」で一気に観客の体温が上がったところで、「Ain’t Got No Home」、「Ain’t Nobody Here But Us Chickens」、『Heavenly Music』にも収録の「The House Of Blue Lights」などの小気味好いブギウギ・チューンから、本編唯一のオリジナル曲「Body Snatchers」(1984年の『S・F・X』に収録のエレクトロ名曲)を、今回のメンバーでしか出せないサウンドにアレンジして締めくくった。
 アンコールの最後、再び「Sex Machine」まで20曲。ブルース、ブギウギを基調としながらも緩急をつけた構成とユーモアたっぷりのMCで、実に力を抜いて楽しめたと同時に、この「細野晴臣版20世紀(主に)アメリカ音楽」がどうしてこうも鮮度があるのかということを考えた。それぞれの楽曲はいわゆる昔の曲であり、使用楽器も演奏スタイルも極めてオーソドックスなものであるのにもかかわらず、妙なノスタルジーに寄りかかることなく、演奏が、歌がスッと入ってくるのはなぜだろう。
 影響された音楽(とそのスタイル)に浸りすぎるがゆえ、影響されたものと同一化を図ろうとする人が少なくない。そうなってしまうとどうにも「音のコスプレ」のように感じられてしまうのだが、細野晴臣は影響の対象との距離を取りつつ、独自の「チャンプルー」感覚でもって、本物とは別の本物になる。これこそが、どんな音楽であっても細野晴臣であるというアイデンティティとなっており、だからリスナーは雑念なくその世界を楽しむことが出来るのである。本公演で「Body Snatchers」がオリジナル曲だと思われない、と笑いながら言っていたが、いみじくもそれが自己すら模倣しないという姿勢を明らかにしている。そう考えると2015年に行われた「細野晴臣版20世紀(主に)アメリカ音楽」といった面持ちのこのコンサートは、20世紀の総括というよりも、まだまだ先に進んでゆく細野晴臣という印象を強くしたことに改めて気づいた。これからどんな音楽に興味を見出し、どんな魔術を見せてくれるのか楽しみであるし、その魔術がいつまでも続いてくれることを願って止まない。

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