蓮沼執太
ここ数年の活動をピックアップしてみても、CMなどのBGMを作ったり、歌モノアルバムを発表したり、U-zhaanと一緒に映画のサントラを作ってみたり、個展を開いたり。蓮沼執太というアーティストはとかく掴みどころがないというか、言葉で定義するのが難しいのだが、だからこそ、このライブを観てほしい。久しぶりに活動を活性化させた「蓮沼執太フィル」だ。総勢16名の大所帯で鳴らされる、カラフルで多面的でポップな音楽。しばしのブランクを経て、なぜ彼はフィルを再び動かし始めたのか。それを掘り下げていくと、蓮沼執太というアーティストを理解する手がかりがごろごろ埋まっていた。バックグラウンドの違うミュージシャンが集まって音を鳴らすことの事件性、音楽が生まれる瞬間のプリミティブな興奮と感動。2019年1月7日、7年ぶりに開催されるニューイヤーコンサートで、それを体感してほしい。
久しぶりにメンバー全員が集まってやったライブが本当によかったんです。音が変わっていたんですよ。
――2018年、蓮沼執太フィルを久しぶりにやって、新春ライブも2012年の東京オペラシティでやったのが最後なので、7年ぶりということになりますね。
蓮沼:ねえ。その長い期間、一体僕は何やってるんですかね(笑)。
――そのへんの話を聞きたいなと思うんですけど(笑)。フィルとしては2014年にアルバムを出して、蓮沼さんがニューヨークに行くというのでいったん活動がストップしたわけですが、じゃあそれから今まで何もしていなかったのかというともちろんそんなことはなくて、蓮沼執太としての活動はより活発になっていたと思うんですね。そんな中で、どうしてまたフィルを動かそうと思ったんですか?
蓮沼:活動自体は、展覧会をやったり、U-zhaanと一緒にやったり、ソロでも歌モノにチャレンジするということもやったりしていたんですけど、ちょうど2年くらい前ですかね、久しぶりにフィルのメンバー全員が集まって、しかも新メンバーがひとり増えた形でやったライブが本当によかったんです。音が変わっていたんですよ、みんなでやるときの。その変化というのは自分ひとりで活動していると感じられないものだし、他者と音を出すことによって感じるフィードバックというのがすごく新鮮で。「可能性あるな」というか、そもそも活動を続けてこなかったというのは愚かなことだったなと(笑)。
――そもそも、それまで蓮沼さんはずっとひとりで作品を作ってきたわけですよね。そういう蓮沼さんが、いろいろなミュージシャンとサウンドを作っていくという部分に、どんな面白さとか歓びを感じていたんですか?
蓮沼:「面白さ」というよりは、自分の音楽を発展させるには、とか、自分を驚かすには、そうせざるを得なかったというのがまずあったんですよ。楽しそうだからやるとか、みんなと和気あいあいと音楽を作りたいからやるっていう感じではないんです。僕は大人数で音楽をやるプロでもないのでわかっていないこともたくさんあります。どちらかというと集団行動も苦手な方で。でもだからこそできる部分というのもすごくある。いつも不完全だからうまくいっている……うまくいっているというか、常々課題が生まれて「今度はこれを頑張ろう」となることで前進していくような。そこがいちばんの醍醐味なんじゃないですか。
――メンバーの関係性とかバンドのありかたみたいな部分は、ブランクを空けてやったときに何か変わっていました?
蓮沼:そうですね、メンバーの年齢のレンジもかなり広いので、年上の方たちはもう素敵な個性がありますし変化せずに安定しているんです。一方で年齢が若い人たちはどんどん変化していくし、考え方も変わっていく。それはすごく刺激的なことで、それが演奏にもなるし、レコーディングでの音楽への対応の仕方、触り方にも変化があって、そういうのを知ると嬉しいです。「すごい、変わってる!」って。
――それが嬉しいんですね。
蓮沼:変化を感じることも新鮮ですし、安定したものに触れるのも同時に嬉しいんです。フィルのメンバーで僕よりも年齢が上の方々からは、ミュージシャンとしての人間性を勉強させてもらっています。そのフレッシュな部分と玄人な部分っていうんですか。僕はちょうどその真ん中にいるんで、それぞれを共有させてもらっています。
――なるほど。蓮沼執太にとってフィルというのは、当初は「実験」だったと思うんですね。なぜならそれまで蓮沼さんがやってきたこととまったく違うことだから。でも今回のアルバム『アントロポセン』を聴くと、「実験」というよりはもっと、蓮沼さんにとって肉体的なプロジェクトになってきているように感じたんです。
蓮沼:確かに、さっき「自由であればいい」と言いましたが、自由にさせる方法とか、「ここは決めていきましょう」みたいな部分というのは、音楽的には生まれているかなと思います。もうメンバーのこともある程度は知っていて、どのような演奏するかもわかっているし、例えばメンバーの癖なども体系的にも知っています。だからひとりひとりに対して曲を書いていくことができるので、そういった意味では楽曲の身体性というか、僕も音楽っていう意味ではフィルの音をコントロールできるようなものになってきているというのはあるかもしれないですね。要は「自分の音楽として扱うこともできる」という意味でもあります。
いつまでもこの姿でライブできるとは思えない。だから1回1回大切に、思い出に残るように(笑)、やりたい。
――うん。言葉を換えると「蓮沼執太フィル」という身体、肉体が生まれてきている感じがします。そこで不思議だなと思うのは、そうなると「蓮沼フィル」という名前でありながら「蓮沼執太性」が薄いというか、どんどん「蓮沼執太」が背景に後退していっている感じすらあるんですよね。
蓮沼:そう、そのとおりです。
――それがすごく面白いんですけど、そこにある音楽家・蓮沼執太としてのカタルシスって何なんでしょう?
蓮沼:良い質問であり、答えるのが難しい質問ですね。自分の問題意識や思想を蓮沼フィルという器にダイレクトに入れ込むというのは結構危ないことだなと思っていて。たくさんの人間が集まっているからこそ、それを自分の考えに従えてしまうというのは暴力的にすぎるというか。それは絶対にしたくないんです。
――それはどうしてですか?
蓮沼:自分はマイナーな人間であるという認識がすごくあるからですかね(笑)。でも、マイナーな出発点からフィルのメンバーを通して音楽を出力することによって、レンジの広い音楽となって出ていくというのは実感としてあるんですよ。いろいろな人が「いい」って言ってくれるかもしれないというレンジの幅広さを持てる。そういう状況を作るということ自体が僕にとってはチャレンジングなことなのでそれが楽しみだというのもあるし、『アントロポセン』以降のフィルはいわゆるバンドとしていい状態になっているので、今のところコンセプチュアルに幅を狭めたいというのはないですね。
――そういうフィルのありかたというのは、蓮沼さんにとって望むべくしてそうなったものなのか、それとも想定外にそうなってしまったなあという感じなのか、どちらがより強いですか?
蓮沼:これも難しいですね。青写真を作って自分の活動しているわけではないので、もちろん意外なことも起こってきましたけど、「こうなるだろうな」という感じはあったと思います。でも……これまでバンド内で大喧嘩があったりとかはないですし(笑)、みんないまを生きているので、この先何があるかはわからないですよね。僕たちはそんなにたくさんライブできないだろうし、いつまでも同じような姿でライブできるとも思えないし。だから1回1回大切に、思い出に残るように(笑)、やっていきたいなと思っているので。僕もニューヨークと東京の行ったり来たりになって、メンバー自身もそれぞれも変わっていくし。もしかしたら新メンバーとか入るかもしれないし(笑)。
――いや、そうなんですよ。大人数編成でやるということが目的なのであれば、人入れ替えながら、そのときやれる形でやればいいわけじゃないですか。でも今のお話を伺っているともう少し情緒的なものになっている感じがしますね。このメンバーだからこそ、このバンドだからこそっていう。
蓮沼:ああ、そうですね。そもそも情緒って距離を置いているん要素なんですよ。音楽自体が持っている情緒は受け入れるんですが、音楽以外の物語や情緒はできるかぎり排除していきたいんです。ただ世間の皆さんは、どちらかというと音楽を聴くというより情緒を聴くじゃないですか。人間としての物語を聴くというか。それはしょうがないことでもあるんですけど。だから僕もフィルに関しては音楽性だけじゃなくて、成り立ちとかメンバーのバックグラウンドについて説明するんですけど、フィルはそういう情緒を捨てきれないんですよ。内包されてしまう。その部分もレンジの広さにもつながっているんじゃないかとも思います。
――だからこそわくわくする。
蓮沼:そうですね。やっていると必ずエラーが起こるんです。それは面白いし、自分が思いもよらないところからエラーが来ると、急に視点を提案していただいた、みたいな(笑)。「こんなこと思いもしなかったな」っていうことの連続は自分だけじゃない音楽になっていくし。それはいつも刺激的だなって思いますよね。
ライブに来た人も聴いているわけだから、それは一緒に音楽やってるじゃん、みたいな。
――そうやって別の視点を入れることで自分の音楽、自分のイメージを相対化していく装置としてすごく優秀なんですよね。そこに面白みがある。
蓮沼:確かに、自分という存在とプロジェクトを相対化して音楽を作っていくというのはあるのかもしれないですね。フィルをやっていて感じるのは、みんなが楽しそうにしているのももちろん嬉しいですけど、自分が作った曲を大人数の人に奏でてもらっているという意識。それを誰よりも間近で聴いていること自体が嬉しいんです。演奏が上手とか下手じゃなくて、人を通して自分の音楽が立ち上がってくることが感動的です。
――音楽とは違うアウトプットとしての展覧会などはどうですか?
蓮沼:展覧会でいうと、僕よく「サウンドインスタレーションをやっている」って言われるんですど、じつは「サウンドインスタレーション」と呼ばれるメディウムではあまり作っていません。立体とかビデオとか、音を使ったものもあるけど、いわゆるサウンドインスタレーションはないんです。でも、作品に触れると必ず答えがあるような作品ではないし、来た人が考える作品というか、作品に触れることで自分自身を再考するというものが多いです。そういったところで作品に触れるというのはライブするとかレコーディングするとかとは違ったフィードバックがあることも面白いです。
――でも、「来た人が考える」じゃないですけど、蓮沼さんは常に「オーディエンスも音楽を作る一員だ」という意識が高いように思います。それはあらゆるプロジェクトにおいて通底しているのかなと。
蓮沼:結局、みんな同じ音を聴いているわけではないという意識からくるんだと思います。同じ音楽は存在しないというか。僕、楽器を始めてから音楽を作っていないので。レコーディングするというところから作っているから、聴くっていう時点でもう音楽作ってるじゃんっていう感覚があるんですよ。フィールドレコーダー持っていって音を録っていれば、もうそれは音楽が存在している。ライブに来た人も音楽を聴いているわけだから、それは一緒に音楽やってるじゃん、みたいな。あと、これはジョン・ケージとか武満徹さんの考え方の流れになりますけど、人は生きているということが音楽を営んでいるようなものなんでっていうのは根底としてありますね、僕の場合は。楽器よりも「音」や「環境」と向き合って作品を作っているからこそそういった発想になるんだと思います。
――だから「フィルハーモニー」って名前を付けていますけど、いわゆるクラシックのフィルハーモニックオーケストラだと、そこには様式美、構造美があって。それをどう表現するかが主眼だし、受け手もある程度のコードのようなものを知った状態で聴くものじゃないですか。でも蓮沼執太フィルの場合はそうじゃないところに面白さがあるんですよね。ある種の事件性というか。
蓮沼:ニヒルな感じになっちゃいますね(笑)。
――ニヒルではないと思いますけど(笑)、バンドもインディビジュアルな人間の集まりで、各自がバラバラに出した音を「音楽」にしていくという作業ですし、それを集まったひとりひとりのオーディエンスに向けて……。
蓮沼:届ける。
――というものですよね。だから、じつは蓮沼さんの根底にある姿勢をいちばん具現化しているものが蓮沼執太フィルなのかなって。
蓮沼:そうですね。例えば、なんでもいいんですけど、こうやって(グラスを叩く)音を出すという行為が音楽の根源なわけですよね。それらを束ねて音楽にしていくことが確かにフィルですね。プリミティブでシンプルでもあるし。ただ、音楽ってコンテクストも大切だし、そういう音楽が生まれてくる背景というのも重要ですけど、フィルに関してはまだコンテクストはわからないですね。
――そもそも、蓮沼さんって音楽家として自分の属しているコンテクストは意識しているんですか?
蓮沼:先日、AVYSSというメディアでオープニングアクトのTakaoくんと対談しましたけど、普段対談するような企画があったとしても対談相手ががいないんですよ(笑)。それってやっぱりコンテクストないということなんじゃないかなと思うんです。それがないから、みんなも僕と合わせにくいみたいになってるような(笑)。現代においてはコンテクストが存在しないとサバイヴできない気もするんですよね……。
――じゃあ、そのコンテクストを見つけようとしているんですか?
蓮沼:このままのびのびとやっていくんじゃないですかね。僕は自由に行動したいのでこうなっているっていうのもあると思うんです。ある種制限された中での自由さというのもあるんですけど、制限される前に好き勝手させてくださいっていうのがあるので。その継続がこういう結果に繋がっちゃっている感じというのはあると思いますね(笑)。自分に固定概念を付けないように制作をやっているっていう。
まだまだフィルには可能性がある気がしている。1月7日のライブは来年の活動の原点となるんじゃないかな。
――でも僕は、根本的に蓮沼執太の表現ってポップなものだと思っているんです。『アントロポセン』もポップですよ。『メロディーズ』のポップさとは違うポップさではあると思いますけど。
蓮沼:うん、わかります。
――その『アントロポセン』のポップさって何だろうって考えると、やっぱり人間同士のコミュニケーションの中で作られているっていうところなんですよね。そうやって相対化・客観化されていくことで角が取れていくっていうものなのかなと。
蓮沼:フィルにかんしては、参加しているミュージシャンがいいと思ってくれないといやなんですよ。これはいい曲だねって思ってくれるようなフレーズにするという作業を15人に対してやっているんで、それは角取れるよねって感じはしますね。
――要は小さな大衆ですからね、その15人が。
蓮沼:そうそう。実際顔を合わせてレコーディングしているので、それは意識します。
――『アントロポセン』はそれが強まっている感じがします。
蓮沼:僕もそう思います。そこにまだまだフィルの可能性があると思っていて、『アントロポセン』以降も様々な経験を経ています。1月7日のライブはその集大成でもあるし、2019年の活動の原点となるんじゃないかなと思っています。
――最後に、2019年はどういう年にしたいですか?
蓮沼:2018年はフィルを中心とした作品発表が多かったので、2019年はフィルからスタートして、ソロ音源の制作だったり、パフォーマンス作品を作りたいなと思っているんです。ソロを作りたいというか、何も考えずに好きな音を集めた音楽を作りたい。でも『メロディーズ』のようなソロの音楽も同時に作っていきたいです。たくさん創作をして、出していく年にしたいと思っています。いろいろなプロジェクトでリリースしていければいいですね。
――ますます、蓮沼執太が何者なのかわからなくなりそうですね(笑)。どんどん広がっていく。
蓮沼:うん、そうですね。今回オープニング・アクトで出てくれるTakaoくん、僕と10歳くらい違うんですけど、彼に「蓮沼さん、どんな音楽から始めたんですか?」って訊かれて、「コンピューターで、MaxとかSuperColliderとかでパッチ書いて音出してたよ」って。そういう地平からフィルへの変化となると――最初にフィルみたいな大衆的のような音楽をやってからコアな音楽へ向かうのでは無くて、まったく逆ですね、とTakaoくんに言われました。
――大衆のほうへというわけではないけど、どんどん、エゴとか記名性から離れていく感じはあるかもしれない。
蓮沼:音楽的には具象ですが、どんどん存在が抽象的になっていくような。活動の初期は出来ることが限られている中で毎日音楽と向き合ってコツコツ作っていきました。その時間をかけた分だけ作品に想いや感情が入っていました。今も同様なアプローチですが、プロジェクトとして関わっていただく人も多いこともあり、より大きい視野をもって動いています。その起点が次のニューイヤーコンサートに詰まっていると思います。これまで積み重ねた熟練とも言えるパフォーマンスを行うつもりです。楽しみにしています!
恵比寿LIQUIDROOM
Shuta Hasunuma
Full Philharmonic Orchestra
NEWYEAR’S CONCERT2019
蓮沼執太フィル・ニューイヤーコンサート2019
公演概要
日時 2019年1月7日(月)
開場 18:30 開演 19:30
来場者全員に、オリジナルお年玉ステッカーをプレゼント!
会場 恵比寿LIQUIDROOM
料金
前売 4,500円+1ドリンク別
当日 5,000円+1ドリンク別
Act
蓮沼執太フィル(蓮沼執太、石塚周太、イトケン、大谷能生、葛西敏彦、木下美紗都、K-Ta、小林うてな、ゴンドウトモヒコ、斉藤亮輔、Jimanica、環ROY、千葉広樹、手島絵里子、宮地夏海、三浦千明)
Opening Act
Takao
2018年8月18日、すみだトリフォニーホールにて行われたアルバム『アントロポセン』発売記念ライブにて1,800名のコンサートホールを満員にし、その後の名古屋・大阪・福岡ツアーを経て、2013年以来6年ぶりの「ニューイヤーフィル」コンサートを行います!会場は恵比寿LIQUIDROOM。2019年の新春を蓮沼フィルと共にお祝いしましょう!
https://www.hasunumaphil.com/topics/861/