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fifth

『fifth』

FRONTIER BACKYARD

[label: Niw! Reocords/2013]

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【四六時中×(過去+現在+未来)】に寄り添い響く賛美歌

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text by 大村直

 今作も、「sun」、「hope」、「smile」――FRONTIER BACKYARDの芯にある、この3つの要素、3つの言葉が、きらきらと輝いている。高く昇った陽の光のもとで、希望を見いだし、何度でも笑顔になろう――FBYはいつだって、そんなシンプルでとても大事なことを、ビートとメロディーとともに、わたしたち聴く者に教えてくれる。
そんな「陽」の要素とは対照的に、M⑤・M⑩が描きだす「夜」・「真夜中」のイメージが、とても新鮮で、ゾクゾクするほどにかっこいい。特にM⑤では、夜の街の狂騒、暗闇に輝く明かり。そして、そこから切り離された場所でひとり佇む自分――その対比が、サウンドで、言葉で、あぶりだされていく。
胸をかきむしるような焦燥感がギターに、とりとめのない思いの波がシンセサイザーに、刻一刻と過ぎていく時間がドラムのリズムに、澱のように淀んだ思念の渦がシンセベースに、それぞれ宿っているように思えてくる。そしてそのそれぞれが響きあいながら、揺れながら、ドラマチックに展開しては、加速してゆく。
そんなサウンドスケープにのせられた歌詞が想起させるのは、夜、眠りに就く前のあの、「漠然とした不安に苛まれる自分を、どこか冷静に俯瞰するような感覚」だ。抱えきれないほどの葛藤や懊悩と、ただただ向き合い、対峙する。夜の、茫然自失しそうになるほどのせつなさともどかしさを、TGMXのあの高らかに舞い上がるような歌声が、解き放ってゆく。

「過去を見つめながら今と向き合い、そして未来へと歩みだす」ということが、FBYの歌詞に通底するスタンスのように思う。たとえば、M-1”picture of the sun”で、何度も繰り返される≪Bye bye bye bye bye bye≫(「さようなら」)という言葉。それは単に哀しい喪失を嘆く別れの言葉ではなく、現在から未来へと進んでゆくうえで必要な、過去と決別するための宣誓の言葉――今ここで/今ここから、続いてゆく/続けてゆくという、所信表明のような「さようなら」だ。

 そして、ラストを飾るM-12”FLASH”が、まるでFBYがこの世界におくる賛美歌のようで、すばらしい。FBYは、音を響かせ、歌うことで、この世界をたたえている。何が起こったって、それでもこの世界はすばらしいんだということを、いろとりどりの音の粒をちりばめ、希望に満ちた「うた」を舞い上げながら、全力で肯定させてくれる。
 ときに過去に想いを馳せながら、しっかりと足を「いま」という地に着けて、ここから先の未来へと進み続けていくために、この世界を賛美すること――それは、手放しの賛美ではない。過去と現在と未来、そのすべてをのみこんだうえでの賛美だからこそ、かくもわたしたちに響くのである。
 
少しさみしさすら覚える曇った日の朝に(M-07”MORNING”)。陽の光を目一杯浴びて微笑む昼に(M-08”Let us smile again”)。淡い落日を眺めてセンチメンタルになる夕暮れに(M-6”The only meaning”)。世界にひとりきりになってしまったような寂しさに襲われる真夜中に(M-05”city lights”、M-10”Waste of Time”)。――『fifth』は、それぞれの時間に、それぞれさりげなく、寄り添ってくれる。朝に昼に夕に夜に、すなわち日々に、つまり生活に、要するに日常に、「いつだって・どこだって(Anytime, Anywhere[M-09])」、心地よく寄り添ってくれる、そんな作品だ。

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