チアフルに時代を斬る
トロ・イ・モアの約1 年半ぶりのニュー・アルバム『Outer Peace』がリリースされて以降、同作収録のナンバー、例えば“Freelance”や“Ordinary Pleasure”をラジオやカフェ、ショップでしばしば耳にするようになった。ラジオ・フレンドリーという形容が2019年の今も有効なのかは疑問だけれど、いずれにしても無意識の街角のBGMとしても、一般に広く聴かれうるオープンなポピュラー・ソングとしても、『Outer Peace』のナンバーが極めてよく出来ていることは間違いない。そう、『Outer Peace』はトロ・イ・モアの過去の作品と比較しても、ずば抜けてポップでジョイフルなアルバムなのだ。
トロ・イ・モアことチャズ・ベアーがデビューして約10年が経とうとしているが、彼のことをいわゆるチルウェイヴの代表的アーティストとして認知している人も多いかもしれない。とりわけ前作の『Boo Boo』は、輪郭の滲んだサイケデリックとアブストラクトな点描のエレクトロを幾重にも重ねていく、その閉じたインナー・ワールドへの没入感がまさにチルウェイヴ的な一作だった。
そんな前作との対比でこの『Outer Peace』を聴くと、パキッと鮮やかな色彩とビートが躍動する“Freelance”や“Ordinary Pleasure”のフューチャー・ファンクは、言わばインナー・ワールドでの巣篭もりを終えたトロ・イ・モアの目覚めの号令として聞こえるはずだ。ちなみにABRAがゲスト・ヴォーカルで参加した“Miss Me”や“New House”といったアルバム中盤のナンバーに関しては、ピッチシフトされたヴォーカルの揺らぎもメロウなR&Bチューンだったりもするが、そのしばしのチルタイムを終えると、彼は再び忙しない足取りでとっとと駆け出していくのだ。
ただし、じゃあこれが「モダン・ポップの決定打!」とかいう確信と共に作られたアルバムかと言えば、おそらくそういうものではないだろう。全10曲でトータル・タイム30分強という本作のコンパクト設計は、じっくり聴かせるフル・アルバムとしての完成度よりも、シームレスかつ移り気な足取りでハウス、ファンク、ディスコと次々に乗りこなしていく、主体性なき「意識の流れ」のダイジェストを敢えて表現しているように聞こえる。
本作のチアフルなムードを象徴するような“Freelance”のシンセ・リフとワウ・ベースが、吃音じみたチャズのヴォイシングによって徐々に勢いを削がれ、制御不能にとっ散らかっていくように、「自分が誰なのか、もうわからなくなってしまったんだ」と歌われる“Who I Am”のように、そして本作のテーマは「文化が消耗品になってしまった現代社会」であると彼が称したように、本作のポップでジョイフルな表層の裏には、自己と社会の消失点をめぐる不安や焦燥が潜んでいる。そしてその不安や焦燥を振り切るように躍動するこの『Outer Peace』は、モダン・ポップとそれに踊らされる彼や私やあなたへの何よりも優れた批評になっていると思うのだ。